The Book Life

人生は、旅である!

夏を乗り越えるべく・・・!

暑い夏が続く昨今・・・早く秋がこないかあなと、待ち焦がれて居るそんなきょうこのごろです。

 

このあいだ、ついにアーユルヴェーダに行ってきました!

 

参照:アーユルヴェーダとは?

《抜粋》

アーユルヴェーダとは、世界3大医学の一つです。インド・スリランカで生まれた5000年以上の歴史を持つ世界最古の伝統医学。サンスクリット語のAyuh(生命・寿命)、Veda(科学・知識)から来ており、実践的な生活健康法として受け継がれてきました。

初心者さんにも分かりやすい♪「アーユルヴェーダ」でバランスのとれた健康な体に | キナリノ

 

私は、高校時代から、ぎっくり腰や、片頭痛、肩こりなどに悩まされ、

その都度様々な解決方法を模索してきました。

例)鍼や、整体、マッサージ、足裏マッサージ、よもぎ蒸しetc...

 

たしかに、その一瞬は「めっちゃ快適!」となるものの、その後は1か月もするとすぐ体調に再び異変をきたし・・・というような日々でした。

さすがに、ここ最近は倦怠感を伴うことも多くなってきて、

 

そもそも、不調にならない体を創ればええやん(゚∀゚)

と、原点へ返ってきました。

週2~4筋トレをしているため、体作りは大丈夫だな・・・

となると、後はストレスや、心のもやもやなどをため込む気持ちや心持を変えるべし。

という気持ちになり、色々と検索をしたところ、このアーユルヴェーダに行きつきました。

 

善は急げ!

ということで、今回はこちらのお店にお邪魔しました。

アリッサム | カウンセリングとアーユルヴェーダで、疲労やストレス、加齢による不調・トラブルを、根本原因から改善するサロン

 

まずは、30分のカウンセリングがあり、その後施術となります。

30分のカウンセリングの際に、アーユルヴェーダとは何か、ときちんと説明を頂きました。

 

人間には、ドーシャと呼ばれる生理機能があり、その機能のバランスが良くないから不調が怒るとの事。(概要します。)

 

(参照)

 ドーシャは、ヴァータ(風/ 運動、運搬)・ピッタ(火/ 消化、代謝)・カパ(土/ 結合、保護)の3種類あります。
食べ物を正しく細かい栄養素にピッタが消化し、それを細胞に正しくヴァータが運搬カパが体に結合。そして、いらなくなったものは正しく排泄できれば健康を維持できる、と考えると分かりやすいでしょう。

 

ちなみに、自分自身がどのタイプかといったことは、ある程度ネットで検索できるみたいです。👀

アーユルヴェーダ体質診断|70項目から細かくドーシャを分析 | Timeless Edition

ちなみに、私は風(ヴァータ)らしい。

 

そんなこんなで、色々と今の悩みをお伝えし、施術を頂きました。

内容は割愛しますが、ほとんど終始爆睡。(てへ)

 

その後施術が終わった後に、施術を戴いた方より、頂いた言葉が印象的でした。

 

体というのは、あなただけのものではないの。

60兆個という個々の細胞があなたを形成している。だから決してあなたのものではない。

あなたは60兆個の細胞という部下を持っている社長のような存在なの。

だから、自分の体がどこか不調になってしまったときに、自分のその体の部分を責めたり、不調になったからと言って落ち込むのではなくて、「頑張ってくれてありがとう~。いたわらなくてごめんね」と、声をかけてあげて。

 

と。

 

こういう視点はまた新しいなあと思いながら、すっきりとした体で帰宅することができた、そんな良い1日でした。

 

アーユルヴェーダ自体は、すごく私にはあっていて、ストレスをストレスと捉えないからだと心作りのために、これからも定期的に通いたいと思った、そんな感想です。

 

暑い夏、皆様も体を酷使しているかもしれません。時には体や心を休めることを大切に、夏を乗り越え、次なる季節を迎えましょう。

 

 

 

新たな1年を創り出すということ。

なんとこのブログも、1年ぐらい書かず、筆不精となってしまった。

1年前の自分は、というと仕事ができなくて精神的にも落ち込み、そこからなんとかあがいて這い上がろうとしていた、そんな状況だったであろう。

 

では、そんな状況から1年間。最近私は26歳を迎えた。

20代も後半に突入である。世の「アラサー」に差し掛かるのか、まだ片足のつま先程度しか入っていないのか。微妙な年代だ。

 

昔のブログを見ていた時に、22歳を終え、23歳を迎えた時の自分のコメントに目が留まった。

 

「24歳を迎えるときに、23歳の自分がこんだけ頑張っていたから、こんなに沢山の決断をしたから、最高の今がある!と思える1年にします。」(どや!)

 

 そんな一言を添えていた。

そういえばこのコメントを書いていたころは、毎日生きることに一生懸命で、目の前の目標や自分が入りたい企業に入るための努力をただひたすら、一心にしていたのである。だから、輝いていたし、自信があった。

 

ときに、一息ついて25歳~26歳の1年間を、振り返ると

それはもう、一生振り返りたくもない地獄の1年間だったと今にして思う。

この1年さえなければ、私はもっと幸せに生きれたかもしれないのに。と

それほどまでに後悔や失敗が多い1年だった。

 

人間は徐々に闇や、影の部分を抱えていくものだと思うのだが、

私はこの1年でだいぶそんな「闇」の部分を自身の中に増やしてしまったと思う。

 

誰にも話せなかった、地獄のような日々は今にして思えば、人生は甘くないこと、自身の発言や行動に責任をもって生きねばならないことを身をもって教わった時期である。

ただ、本当に苦しかった。そういう苦しみを味わったことのない周りの友人を見ていると、なんて幸せそうなんだと羨ましい日々だった。周りには見えない不幸を人間は抱えているので、きっと私の知らない苦しみや不安などを持っているのかもしれないけれど、当時の私には周りの人たちはみんな輝いていた。友人から受けていた相談や悩みも、かわいいもんだと思っていた。

もっとみんなは自分が幸せであることをかみしめた方が良い。まあ、これは私も含めて、なのかもしれないけど。

 

そんなこんなで、

「神頼みなんて」とこれまで思っていたのだけれど、人間本当に窮地に立たされると祈りすがるものは神様ぐらいしかいないのだということも、わかった。

別に宗教などを今も信じているわけではないが、きちんとご先祖さまや神様に感謝をして生きることの大切さを知った。まあ、だから物事が前向きによくなるのかどうかはわからないが。それでも、心の平穏は少しは保たれるものだ。

※結局私はパワーストーンを身に着け、御朱印帳を手に様々な神社へ行っている。。

 

そんなこんなで、最近は日々体も精神も疲れてしまっていて、

どうしたら明るくふるまえるのか、こんな自分が何を成し遂げられるのか、成し遂げたいのか、がわからなくなった。

なので、26歳に絶対これを成し遂げる!という目標がそういえばないことに、ふと気が付いた。

 

こんなにどん底な今ではあるものの、最近は回復兆しにあり、

ちょっとずつ、昔の自身のように、コツコツと努力をしていこうと心を持ち直しているところである。

 

人間どん底に落ちたら、それを引き上げれるのも自分自身しかいないと思っているので、私は自分で自分を助けたいと思う。

新しい1年は自分で創り出すものだから。

 

マイナスから始まったこの26歳という自分を、来年はプラスに引き上げてあげたい。

27歳を明るい気持ちで迎えられたのは、26歳の自分が一心に頑張ってくれたから、と言えるように。

 

そんなこんなで、もう少し自分の感情整理のためにこのブログは定期的に

自分の掃きだめ場所として、更新していこうと思う。

毎月の読書数10冊というノルマは、なんだかんだで毎月達成しているので、

ここで読んだ本の中で心に残ったものも紹介していきたい。

最近は、最期の看取りに関しての、本を読み、「死ぬために、生きる」ということを考えさせられたところです。

 

そんなこんなで、日曜日の夕方。

また明日から、新たな1日が始まります。

 

と、ここまで書いて見直したら・・・・

やばい、どうやら本当に今心が暗いのか、文章がとても暗くなってしまった・・・。

前向きに生きれるように、頑張ろう・・・!

 

 

食事から、食時へ。

皆さんこんにちは。Tokyoより、Sarinaです:)

今年は年が始まり仕事の忙しさや中身の濃さがより一層増し、胃腸炎を患ったり、少し精神を病んだりし、2017年前半は非常につらく、生きることや生きる意味合いなどについて非常に悩まされた期間となりました。

 

が、何となく、5月に入ってから、調子が良い。

ストレスを、悪いものととらえず、良いものだ!今私は成長している。

Uncomfortableゾーン、カモン。

 

こんな感じでマインドチェンジを徐々にできるようになったからかな。

 

思い起こせば、大学受験が終わり、大学に入学して最初の2年ぐらいも同じ感じで、頑張る気力が起きなかったり、色々適当になったり無責任になったり、ネガティブになった時期があったなあと思うと、今も同じような時期なのではないかと。

 

あ、もしかして、この1年ちょっとぐらい、、、

 

燃え尽き症候群だったかな?(`・ω・´)

 

なんて。高校時代も、大学に入ることを目標に必死に努力をして入学をしたので、そのゴールにたどり着いてから新たな目標を探すことに、そして夢中になれることを探すことに、何となく怠惰になっていた、そんな気がする。

 

そして、今も、そう。

 

大学時代を唯一無二の物にするために、毎日アルバイトであるホスピタリティ分野に力を注ぎ、全力でチャレンジをし、就職活動では自分が行きたい会社に入るための努力を全力で行い、旅もして、色々な人に会って。。。

 

はぁ~~~。

 

そりゃ、燃え尽きますわ!

 

誰かが言ってくれた。

今のさりなちゃんは、きっと、目標を見つけることが出来ない時期なんだよ。

しょうがないみんなそういう時期だから、それを受け止めて、何となく怠惰に生きてもいいんじゃないかな。

 

という言葉が、今、身に染みて思います。

 

さてさて。そんな燃え尽き症候群時期も無事乗り越えられたのではないかなと、今思っているのですが。

それは、なぜか。

 

理由は二つあります。

1、仕事のやり方を覚え、新たに今の仕事でのチャレンジ分野を見つけられたから。(そしていっぱいミスもして、悔しい思いを何度もしたから)

2、人生での新しい目標を見つけたから。

 

この2つにつきります。

やっぱり私は、何事にも目標や、チャレンジしたいものがないと頑張れないのだなあと実感。

 

色々とぶつくさ小言や文句を言いながらこの1年過ごしてきたけれとも、

輝かしい過去も、努力してきた分野も、色々あったことをすべて胸の中にしまい込み、

新しい世界やフィールドへのチャレンジをひたすらに頑張ろう。

 

そして、人生での新しい目標は・・・ムフフ(。-`ω-)

 

やっぱり私はもう一度、ホスピタリティの分野にかかわりたい。

心からそう思う。

 

だから、今の分野で、精一杯自分の納得いく成長をしたら、旅立つのだ。

 

あと3年でやるべきことは全力で、やる。全力で挑戦する。

そして、貯金もする。次のステージに行ったときをワクワクして、迎えられるようにー。ふぁいおっ(/・ω・)/

 

と、ふと思った今日一日でした。

 

さてさて、バーバラミント著の考える技術・書く技術を読んでいるわけですが、ロジカルに物事を書くのが難しいな~と壁にぶち当たる毎日です。

 

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ムキーーーっ。

 

そんな心穏やかな日曜日(*‘ω‘ *)

 

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昨日いただいた、宮崎さんからのお言葉。

「食事から、食時へ。」

 

その瞬間を愉しめる食を、お客様だけではなく、恋人や友人、家族へ提供して行きたいです。

 

 

砂漠/伊坂幸太郎

皆さんこんにちは。

Tokyoより、沙里那です。

 

今日は仕事も早く終わり、何となく学生時代に好きだった本に没頭しようと、久しぶりにこの本を手に取ってみました。

 

砂漠(伊坂幸太郎著)

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麻雀にちなんだ苗字を持つ5人がそれぞれの大学時代を過ごす。

そんな5人組の、大学4年間の物語。

 

この本に初めて出合ったのは、私が大学4年生の時。

出逢った当初は、すごく新鮮な気持ちになりましたね~。

大学1年生になったときに読みたかったなあなんて思ったり。

 

この本で私は本当に西嶋が好きですね~。

彼は、とても素直でまっすぐで、意思を持っていて、それでも伝え方や行動が不器用だから、なかなか周りからは理解されない。

最初は、主人公北村をはじめとして多くの人から理解されない場面が多くありました。

だから彼は最後に「俺は恵まれないことに慣れてますけどね、大学に入って、友達には恵まれましたよ」と言葉を残していきましたね。

 

この本には、なんてことない(ちょっぴり刺激的なハプニングもあるが)日常をつらつらと書かれている。

それでも、読むと、甘酸っぱい気持ちになり、心が、きゅぅううと締め付けられる気持ちになる。

大学時代は十人十色だが、この本は、多くの人に自分の楽しかった、輝いていた学生時代を思い出させてくれるのかもしれない。

 

かく言う私も、この本を読み、目の前には無限の可能性が広がっていると思っていた大学時代を思い出した。

 

まさに「その気になればね、砂漠に雪を降らすことだって、余裕でできるんですよ」なんです。

 

西嶋のセリフで、

目の前の人間を救えない人が、もっとでかいことで助けられるわけないじゃないですか。歴史なんて糞食らえですよ。目の前の危機を救えばいいじゃないですか。今、目の前で泣いている人を救えない人間がね、明日、世界を救えるわけがないんですよ。

というのがあり、今の自分にチクチクと刺さる言葉を投げかけてくれます。

 

砂漠を呼んでいると、ああ~、大学時代は良かったな、楽しかったな・・・

と本気で思います。たぶん。読んだ誰しもが、自分の大学時代を回顧し、ある人は自分の大学時代の友人に会いたくなったり、ある人は大学時代の輝かしい栄光を思い出したり。そんな一冊ではないかと思います。

 

社会人になり、まさに干からびたような毎日を過ごしている自分としては、オアシスのような日々だったんだな。輝いていたなと思いながら読んでいました・・・・

が、

 

さすが伊坂先生ですね。

 

最後の最後にくぎを刺しています。

卒業式の校長先生のお言葉。

 

「学生時代を思い出して懐かしがるのは構わないが、あの時は良かったな、オアシスだったな、と逃げるようなことは絶対に考えるな。そういう人生を送るなよ

 

は、はいいっ。。。。。。。

 

正直、大学時代には気づきませんでしたが、これはある種卒業していく、北村達一行への言葉ではなく、砂漠(社会)へと放り込まれた読者層に対しての言葉なのかもしれない。

 

大学時代に好きだった本に戻ってきてしまったあたりが、もう、私は今、オアシスだったなと逃げるようなことを考えていたのかもな。

 

とふと思いました。

 

四月、働きはじめた僕たちは、「社会」と呼ばれる砂漠の厳しい環境に、予想以上の苦労を強いられる。砂漠はからからに乾いていて、愚痴や嫌悪、諦観や嘆息でまみれ、僕たちはそこで毎日必死にもがき、乗り切り、そして、そのうちその場所にも馴染んでいくに違いない。

 

確かに、今私が生きている環境は、砂漠である。

予想以上の苦労にであい、毎日がプレッシャーを与えられ、終わらない業務、換算されない長時間労働。狭まっていく未来。将来への不安。

 

この1年は、オアシスのない砂漠へと放り込まれたようなものだった。

いつかは、この砂漠にもなじんでしまうのかな。オアシスのこと、忘れちゃうのかな。と少し不安だ。

 

が、

 

人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである

 

とあるように(実はこの言葉は、サンテグジュペリの本からの引用の言葉だが)、私には、夢を語る友人や、今別の砂漠環境に置かれながらも必死にもがいている友人が沢山いる。

前を向いて、未来を語れる友人がいる。

 

この最大の贅沢を味わえているうちは、きっと大丈夫。

そう信じてます。きっとまた、大学時代とは違ったオアシスにたどり着けるはず。

 

砂漠を久しぶりに読んで、特別な4年間にしか味わえないオアシスを回顧してしまっていた自分に、喝。

という事で、読書日記を記しておきました。

 

新たなオアシスを求め、明日からまた一歩踏み出していきます。 

 

 

 

 

 

 

 

笑顔と感動を!in 2017:)

新年あけましておめでとうございます。

Tokyoより、Sarinaです。

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2016年の申年も、去ることながら・・・(ゴホンゴホン)

2017年の幕開けとなりました~。

 

2016年は、24年間の人生の中でも多くの経験を積んだ1年間となりました。

ー西ヨーロッパおよび東ヨーロッパでのひとり旅

ー初めての社会人経験

ーITという世界

ーホスピタリティ業界へのしばしのお別れ

ー初の海外出張

などなど。

 

正直、2015年と比較すると、辛いことや涙することも多くあり、自分とは何かという事を考える時間もなく、とにかく自分を否定することが多くなった1年でもあったと思います。とにかく光陰矢の如し、時間はすぐに過ぎ去ってしまいました。

 

あんまり普段自分を振り返ることもなく、日常はあわただしく過ぎてしまうので、5年間続けている1月1日に自分の1年の目標を立てる、という事を今年もやろうと重い腰をあげてみました。

 

壁にぶつかる事も多いでしょうし、充実していた学生生活や、ホスピタリティ時代を羨む事も出てくるでしょう。夢と現実のギャップに嫌気がさす事もあるだろうし、会社という組織にやりきれぬ憤りを感じる事もきっとある。
 
それでも、絶望したり、不貞腐れたりして、誰にも手を差し伸べてもらえない人間にならないようにしなければならない。
「どこに行っても楽な事ばかりじゃない。苦しい時が必ずある。そんな時には、拗ねるな。そして逃げるな。さらに人のせいにするな。それからー夢を持て(下町ロケット2,佃社長の言葉)
 
 
そうそう、まさにこんなことを去年の今日考えていて、
それでまさに自分が想像していたようなことで悩んでいる今日この頃です。(笑)
 
今まで一番嫌いだったのは、自分の今の環境を嘆くことだったのですが、
たまにそういうことを考えてしまうわけです。
頭ではわかっている。「周りの環境のせいにしたって、何も変わらないし始まらない。
変えなきゃいけないのは自分である。」という事を。
「どうして自分ばっかりなんてことはない。みんな辛いし、みんな努力している。」っていうことも。
でも、たまに、どうして自分だけこんなにつらいのだろう。とか、こんな道、選ばなければよかったとか、思ってしまうわけです。
 
そして、そういうことを考える自分にもとっても嫌気がさす。
だって、自分でちゃんと考えていろんな決断をして今の道を選んだわけだし、その決断をしたときに、絶対後悔しないと決めたのだから。周りがみんな努力しているという事も良くわかっているから。自分が努力不足だっていう事も、頑張り切れてないという事もわかっているから。

 

んなこたああ!わかっている!!!でもしょうがない。人間だし、若いから。まだ悩んじゃうし悶々と悩んじゃうんですよ!!!

 
と2017年は、もう少し開き直っちゃおう。そもそものこのネガティブな気持ちを払拭すべく、もう少し自分を赦せる人間でないとね。
 
人間の最大の武器は、笑えることではないか?笑えば何かが充電できる。それも真実だ。
 
そういった観点から少し話がずれますが、よくつらいなあと思ったカテゴリの中でも、特にサラリーマンというステータスに大きく辛さを感じてました。
入社してからの9か月間は、サラリーマン人生というものをよく理解させられた1年でした。
社会の中の上下関係や、組織の中で評価されるという事、大企業の中での信頼、肩書や会社名の大切さ。
所詮私は、○○会社のさりなさんなんだなという事がよーーくわかりました。
以前まで私は、評価というのは他人からされるものではなく、己によってのみ、評価は下すことが出来ると考えていましたが、会社は違いますね。
他人から評価され、会社から評価されることによってのみ、自分の存在感は会社において大きくなっていく。
なるほど、なるほど。
 
だから、会社の中で多くのことを学び、スキルや経験を付け、先輩や上司に気に入られながら、会社の中での存在感を大きくしていく(しかも良い意味での存在感)必要があるのですね、今後も。この自分の存在感を大きくしていく努力というのは、今年1年も怠らずやっていかねばならないですね。これはある種、サラリーマンとして当たり前にやっていかねばならないことだ。自分が最下層にいるサラリーマンである以上、絶対に怠ってはいけない努力だ。変わらず5年後10年後も・・・。
 
 
ほぼ自分の人生において無駄としか思えない努力で、私は今後10年や20年を無駄にしたくない。
サラリーマンとしての自分ではない、○○会社のさりなさんではない人間になりたい。

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どうせ死ぬのであれば、自分がやりたいことを納得いくまでやるべきじゃないか、と。よそから褒められる人間になったところで、毎日毎日、毎秒毎秒、死へと近づいていくのには変わりがない。明日死ぬかもしれない。やりたいことを我慢して、何が得られるのか。
伊坂幸太郎著 死神の浮力より)
 
以前より私は
「人々に笑顔と感動を与えられる人間になりたい」とひたすらに考えてきて、以前はその表現をホスピタリティの接客者として体現していた。
が、それが出来なくなってしまった今、どうしたら別の形で、笑顔と感動を提供することが出来るか、という事を必死に考え抜かねばならないのだな。
今年1年の課題は、ここにあるのだと思う。
 
 
サービスとは、愛だ。という言葉を信じ、
私は自分が考える形で、また納得できる形で人々に笑顔と感動を与える人材になっていこうと思う。
 
うん、これが今年の目標みたいだ!!
 
そのためにも、私も毎日笑顔で感動していないとだっ。
 
形は変わるのかもしれないけれど、笑顔と感動を人々に与える人間になれるよう、今年1年、頑張ります。
 
サービスとしての愛を体現し、笑顔と感動を人々へ!
 

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2017/1/1

Sarina

人蕩し術/人々の魅力とは。人々を惹きつける力とは。

今回読破し、素敵だなあと思った本はこちら

 

人蕩し術(ひとたらし術)

女たらしなどの、あの「たらし」です。

 

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実は、この本1万円もする本で、かなり「秘蔵書物」のようなオーラを解き放っております。

会社の方から、おすすめされお貸ししていただきました。

 

さて、この本は冒頭このように始まります。

 

「魅は与によって生じ、求によって滅す。」

つまり、与えるものにしか、魅力は生じないと本書は定義するわけです。

では、ものを与えればよいのか。確かに、物や財などを与えることは、その人に魅力を発揮させる最も原型的な例であります。

が、財を与え続けると、自分が貧乏になり、結果人様に迷惑をかけるとなるのです。

人から好かれたい(=求)のために、大切な財を他人に与えつくしてしまうことは、結果他人から厄介になり、切られることに通じると本書は述べております。

 

では、そもそも「なぜ人は求めてしまうのか」「魅力とはいったい何なのか」「魅力を創る(つまり与える)にはどうしたらよいのか」これらを人間の本能から立ち返って本書は説明してくれます。

 

  1. なぜ人は求めるのか。

  本書では、人間は5つの本能的衝動にて人々に求めまた与えることが出来ると言っている。

   ①生存本能

   ②群居衝動

   ③自己重要感

   ④性欲

   ⑤好奇心

①は、金や食物などの有形で満たされることができ、

②~⑤は笑顔や愛、思いやなど無形なものから満たされるそうです。

 

さて、人が求める理由。それは

①~⑤において、どこか足りていない状態を指します。

即ち、人々は恐れているのです。

飢えへの恐れ、孤独への恐れ、持てないことへの恐れ、劣等感の恐れ、無知への恐れ。

 

これらはすべて「自己愛」や「自己肯定」が足りていない状態から生じると考えられます。

だから、人の話を聞かずに自分の話をする(自己主張をすることで人から認められたい)ことや、プライドが高くなったり、高慢(=嫌味)になってしまったりするのです。

 

これが、求の正体です。

では、魅とは何か。

 

 2.魅力とは一体何か

魅力とは、自己重要感が充足しており、陽気で、自分を愛し、相手を愛することが出来る力であります。

先ほど述べた「求」の状態。これらはすべて、自己卑下や、緊張の弛緩がうまくいかない状態が続いている状態なのです。

つまり、自分大切にし、自分を愛し、今の自分を認めている人こそが、魅力なのです。

 

魅力のある人は、自分の心に余裕がある。さらに、自分をしっかりと愛してあげている。

だからこそ、自分を愛することと同じように、他人を愛し、他人を大切にし、他人に手を差し伸べてあげることが出来るのです。

 

つまり、愛心の発動=与なのです。

 

では、どのようにしたら愛心を発動することが出来るのでしょうか。

 

  3.魅をつくりだすには

方法は3つあります。

  ①心の緊張(恐怖)の弛緩のスキルを上げる。(中道を歩む。「獲得」「諦め」)

     心の緊張は、自然発生的に起きてしまうので、仕方のないもの。だからこそ、弛緩する技術に注目するのです。弛緩をしなければ、人生の悩みは永遠に存続します。では、弛緩をするにはどうしたらよいか。2つ方法があります。「努力と才覚で欲するものを手に入れ、緊張を緩める」そして「到底得難いことを理解し、それをあきらめて緊張を緩める」この2点です。特に2つ目については相当時間が必要となります。自分の心をよく観察することから、弛緩ができると言えます。

「人生においては、まず自己弛緩の技術に長じ、それの達人となることが、幸福な人生創造への必須条件となる」

  ②自己重要感を自ら充足し、心身を救済する。

   プライドが高い人は、求といえます。では、このプライドの高さはどこから来ているのか。答えは「自己重要感の欠乏」です。つまり、プライドが高いものを満たしてあげるには、自己重要感を満たしてあげることが大切なのです。しかし先にも述べた通り、自分が欠乏している状態では、他人に与えることが出来ません。

   では、どのように、自己重要感を満たすのか。これには3つ答えがあります。「自分の弱点を補償するために、何らかの才能を磨き、それで世に問うこと。即ち自己表現欲を満たすこと。」「他人に喜びを与えるにはどのようにしたら良いか常に考え、思いやること。」「自己暗示(自分は優れた人間であると3回言う)」のである。

自画自賛は、少し恥ずかしい気もするが、しかし、自分をしっかりと認めて挙げられるのは、自分しかいない。他人に自分を認めてもらうことを求めているうちは、いつまでも自己重要感は得られないといえよう。

   自己重要感がある人間は、幸福になれると言える。なぜならば、物の見方がポジティブであるからだ。

「幸福とはものそのものではなく、物の味だ」とあるように、どんなものや状況であろうとも、自分でそれを幸福と思えば、幸福なのだ。

魅力を得るだけではなく、幸せを得るためにも、自己肯定、自己重要感を満たすことは大切であると言える。

 

  ③好奇心を持つ。

  3日坊主という言葉は日本ではかなり悪い意味で使われているが、それでもいいじゃないか。なんにでも興味を持ち、飽きたら捨てても構わない。なんにでも興味を持ち、試してみる。広く浅くでも良いじゃないか。

  人生多事なのだから。

  逆に、好奇心や興味を持てなくなる時、人々からは魅力が失われるという。

  なぜならば、他人への関心や興味も失せることとなり、結果として人々に耳を傾けなくなる。(つまり、相手の重要感を満たすことが出来なくなる。)

知ることに喜びを感じることは、大前提で、それらを使い、他人へ与えていく。これが大切なことなのだ。

(知るだけだと、ただの自己満足で終了。)

※だから、本を読んで放電しないとダメ、だそう。。。自分に戒め。

 

  4.魅力のある人間

 いろいろと書いてきたが、人間には「良」もあれば、必ず「悪」もある。

闇があるからこそ、光があるように。むしろ、闇がなければ光がない。

どんなに魅力のある人間でも「悪」の部分は必ずある。

だからこそ、魅力のある人間=良ではないのだ。

 

魅力のある人間とは

良い部分も悪い部分も、すべてそれが自分自身であると受け入れ、認め「すべては二元対立である」という分別ができる人のことをいう。

そんな人間を、遊行者と呼ぶ。気負いもなく、自らの生を楽しみ、人々を明るくし、人生を楽しんで生きている人。これが魅力ある人間だ。

 

とどのつまり。

 

己に打ち克つ(克己)。

 

人蕩し(他人を支配)するには、まず己を支配すべし

あくまで、これは「忍耐」や「我慢」から得られるものではなく

「陽転思考」であることを前提に進めることが重要です。

 

 

というのが、今回のこの人たらし術でした~。

己に打ち勝つということは、とても難しい気がしておりました。が!

あくまで陽転思考ですね。自分を認めてあげることは、決して苦しいことではない。

 

明るく前向きな気持ちで、自分を認めてあげることで、人々に幸せや笑顔、そして心の余裕を与えてあげることが出来るのですね。

私は、今社会人1年目で、なかなか自分の会社に与えることが出来ていないなと感じることが多いのですが。。。

それでも、もしかしたら毎日笑顔で楽しく前向きに生きていることで、誰かに何かを与えるきっかけになっているのかも。。と思いました。

 

この本を紹介し、進めてくださった会社の先輩にも、とても感謝をしたいと思います。

とても良い本に出逢えました。

 

 

  

 

SOSの猿/伊坂幸太郎

今回の本は孫悟空×300億円の損害を引き起こした株誤発注事件の調査をするIT品質管理で働く男×引きこもりの男の子を助けようとするエクソシストの模様が描かれている「SOSの猿」(伊坂幸太郎)。

 

SOSの猿、と題名にもあるように、全体のベースとなっているのは、、、

 

 

だ。

 

まさに、リアリティとファンタジーを融合させた作品である。

「私の話」と「猿の話」で小説は構成されており、途中まではこの二つの話がどのように関係してくるかわからない。まさに、井坂氏お得意のパターンです。

 

話の始まりは、ひょんなことから引きこもりのカウンセリングを任されてしまう男、遠藤の話から始まる。

他人からのSOSを見過ごすことができず、たまたま身に着けていた悪魔退治の技術を使い、引きこもりを助けようとする。

  場面は猿の話へと変わる。

 

話の始まりは、こうだ。

 

これから語るのは、因果関係の物語だ。我ら孫行者にしても、天界で暴れたがために五行山に封じ込められた、、、。。

 

猿の話に登場する、プログラムやシステムの品質管理を調査する男、五十嵐真は株誤発注で起きた300億円損失の事件のミスを追いかけ続ける。

この株誤発注事件はそもそも「1株 50万円で売る」を「50株を1円で売る」と入力ミスしたことが直接的な原因であった。

 

五十嵐はミスという言葉をこのように語る。

 

「ミスの原因には2種類あります。『うっかり』と『思い込み』です。」

「いいですか、もしその失敗の原因が担当者の『うっかり』にある場合、どうしてそのうっかりミスを誰も注意できなかったのかを調べる必要があります。」

『うっかりミスには寛大に、規律違反には厳格に』

 

と。

 

ここから、「なぜミスをしたのか」の根本となる原因を探りに行きます。

 

さて、ミスをした男、田中にいきつくわけですが、失敗という言葉から、「恥ずかしさ」そして「恐怖」という2つの言葉を説明してくれます。

 

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「人は失敗に恐怖するんです。失敗した、と思われることが怖いんです。」

「人間の感情における、恥ずかしさの意義は何でしょう?」

「たとえば、恐怖という感情があります。これは人にとっても、動物にとっても大切な感情でしょう。恐怖を感じるからこそ、注意深くなりますし、危険を回避しようともするわけです。生物が生きながらえるのはその恐怖心があるからこそ、ともいえます。」

〜中略〜

「失敗をしたとき、やってはいけないことをしたときに人は、恥ずかしいとかんじます。」

「二度と繰り返さないような失敗をした時にさえ、人は恥ずかしくなります。自分の失敗に対し、素直に謝罪するどころか、失敗を認めず、激怒し、他人に責任をなすりつけようとする人間も多いわけです。」

「つまり、恥ずかしさは、見放されるという恐れと結びついているのではないでしょうか。失敗をしたことを誰かに気付かれ、自分の能力を低く見積もられる。その結果自分が仲間から見放されるのではなきか、そう恐怖するのかもしれません。」

 

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相変わらず、こういうフワッとした概念的な部分を、キャラクターを用いて説明するのがうまいなあと浸ってしまいました。

 

どうして失敗をして恥ずかしいの?なんて、当たり前すぎて考えないのですが、そこへ切り込みを入れて、上手く話に盛り込む伊坂氏、さすがです。

 

さて、一見すると悪魔払いの話なんて無縁に見える展開ですが、、、この後どのように、悪魔払いの男、遠藤と出逢うのでしょうか。

 

キーワードは、SARUです。

 

伊坂ワールド全開の、エンターテイメントと現実世界の融合小説でした。

 

私はこの物語から、

人間にも、失敗にも、ありとあらゆる事象には善と悪の側面があり、それは、受け取る側によって善にもなりうれば、悪にもなりうるのだ。というテーマを感じたなー。

全部が正しい人間とか、全部が悪い人間とか、そんな人はいないんだなと。

バランスが大切なのだそう。伊坂氏の話は、たいていこのようなテーマで教えてくれる気がするけど。

 

いつもこのような大事なことを伝えてくれるキャラクターが輝かしくて、だから、辞められないんです。伊坂幸太郎氏の本を読むのは。

 

しかし、暫く伊坂氏の本は離れて他作家の方々の本を読んでおります。

 

さて、それからどうなるのか。

次回の回を待たれよ。(お猿風な〆)